2015年 06月 20日
ソノサン |
制服も着ていないデブの女捜査官がイライラをむき出しにして俺を怒鳴りつける。
こういった類のインテリジェンスの無さそうなイスラエルの女の態度ほど醜いものはない、
と俺は普段から思っている。
女捜査官は妊娠何ヶ月かは知らないがでかい腹を抱えていて、
似合わない化粧をした額の上には汗が滲んでいた。
早くこのかったるい取り調べを済ませて、
後は自分のデスクでフェイスブックか何かで今日一日をやり過ごしたいとでもいったような態度だった。
取り調べの前に、
言葉の問題で不利になってはいけないと思い、
通訳の警官を隣に付ける選択肢を選んだわけであるが、
そのキパを被ったダルそうな警官までが、
その女捜査官に同期するように大きく口を開けて、
「Answer the question !」
なんて言ってるさまは二匹の鯉がパクパクッとやってるようで、
馬鹿じゃないか、と思ったね。
これくらいの口語はわかるよ。
* * *
俺がフライトを午後に控えた日の朝っぱらからこの醜悪な取調室に出頭命令を受けたわけはこうだ。
7年と半年前に魔女のような変てこな女から生まれた俺の息子に一目会うために、
出国前のばたばたしたなか、
例の砂漠の田舎町へ出向いたわけであるが、
とにかく、俺とこの女は非常に仲が悪い。
顔を合わせると殆ど決まって口論になり、
間に生まれた息子が可哀想になるほど醜い、
情けない事態になることが多かった。
その日も同じであった。
少しは母子家庭を労って昼食にでも招待しようと、
友人の経営する結構値段のはる完全菜食主義の店へ母子を連れて行ったのだが、
そこでのこの母親の振る舞いはひどかった。
大してうまくない、
パンが乾きすぎてる、
アタシのためにわざわざ不味くしたんだろう、
とか、
ひねくれた老婆がつくような聞くに耐えないほどの悪態が連発した。
店の人にも聞こえていることはたしかで、
その場の空気はぎすぎすしたものになった。
ピリピリきてる俺の神経を感じてか、
女は食べかけのサンドイッチを放ってテーブルから離れ、
やはり店の人にも見えるところでいらいらしながら煙草を吸っていた。
無邪気に母親の食べ残しに手を伸ばす息子の姿が、
無邪気そうにみえながら、
実は険悪なその場の雰囲気をとりもつようなふるまいにも感じられて、
俺は情けなかった。
さすがに世間体を気にしてか、
その場ではケンカをおっ始めることは抑えたが、
父母子で送っていくと約束していたので、
息子が乗馬を習っている町の近くの牧場までの道すがら、
俺は女に意見しないわけにはいかなかった。
しかし、
いつものことだが女は俺の説教には聞く耳持たず、
うるさい、
アタシが何をいおうがやろうがとやかく言われる筋合いはない、
とにべもない。
こうしたダイアローグは、
砂漠の牧場に続くでこぼこの舗装道路をのろのろと進む
女の婆くさい二人乗りの電気自動車のなかで、
運転する女の隣に俺、
そして俺の膝の上にすでに大きくなっている七歳半の息子が
座っている状態でとりかわされていた。
「下りろ!」
俺が言ったのではない。
十年来の腐れ縁から女が俺の言うことに耳を貸さないことは重重承知のはずなのだが、
このパターンにはまると駄目なのだ。
俺は女のとった態度への反省を執拗に求めた。
そして何故ゆえに俺がこうくどくど、
女の非友好的なふるまいを正そうとするのかについて理解してもらいたかった。
女は意見されることを非常に嫌う。
そして知的な議論を避ける。
すでに女のキャパシティを越えた俺の糾弾は女に「 GET OFF !」 を吐かせたのだ。
本当は「FUCK OFF !」と言いたかったんだろう。
そういえば、初めて「FUCK OFF」とうことばを俺に浴びせたのもこの女であった。
女が妊娠しはじめたころ、
女の過度な喫煙癖について意見し、
生まれてくる子供の安否、
将来について、
俺の懸念を吐露したときだった。
とにかく俺は、
そういった身も蓋もない女の態度にブチ切れたのだ。
気がつくと俺はその婆くさい電気自動車から膝の上の息子と共に飛び降り、
車の横っ腹を蹴飛ばし、
罵詈雑言、
そして屋根をひっ摑んでそいつをユッサユッサとやっていた。
通りすがりの軍人が止めなければそのまま女共々、
婆車を押し倒していたかもしれない。
軍人とのトラブルを避けたかった俺は、
「大丈夫だ。チワゲンカだ。」とその場をとり繕い、
これ以上この女と関わっていると身がもたないと判断し、
息子と母親をそこに残し、
もと来た道をすたすたと町まで歩いてもどっていった。
はたで一部始終をみていた息子は泣いていた。
そんなことしないで、アバ。
最低だ。
そしてそんな暴力を自分の母親にはたらいた父親になおも、牧場まで同伴してくれとせがむのだ。
最悪だ。
アジアの男がイスラエルの白人女の乗った車を気違いのように攻撃している様子は尋常ではない。
その軍人に撃たれなかっただけでもよかった、と正直ひと心地ついていた町までの帰り道であった。
そのままテルアビブまでバスに乗って帰ろうものかとも思ったが、
可愛い息子とは一ヶ月会えなくなる日本行きのフライト前に
いい雰囲気でお別れをしておきたかったので、
彼が乗馬の練習を終えて帰るまでの数時間を
クレイターの縁でをぶらぶらして過ごした。
同じ町に住む昔の愛人に甘えにゆこうかとも思い電話したがふられた。
息子の母親も俺の暴力にかなりトサカにきていたが、
息子が父親とのバイバイを望んでいたので、
俺が女と息子の帰りを待って、
ひと時の父子面会をすることには、
少し落ち着いてから後にとりかわした電話で承諾していた。
五月の砂漠を吹く風はまだ冷たかったが、
直射の日光は熱く、
しばらく岩の上に寝そべっていると頭がクラクラした。
クレイターの向こうの東方にヨルダンの高い山々の尾根が見えた。
この小さな砂漠の町の警察署長から電話を受けたのは翌日の夜であった。
息子の母親Gが俺に暴力行為を受けたとの訴えを町の警察署に届け出たからだ。
( つづく )
by ramondejapon
| 2015-06-20 22:33